日向坂で会いたい

独身彼女なしアラサーの生産性のない日記

眠くても仕事は進む

 

今日はとにかく眠くて、仕事の進みが悪かった。

いつもだったら、「ああ今日はダメだった」って思うんだけど、切り口を変えてみると、「状態が悪かったのに進捗はゼロではない。他人にも迷惑はかけていない。自分よくやった」となる。だいたい自分への期待値が大きいほど苦しいんだよな。多くの成功者はそれで自分を追い込めるから成功して、そういう人は影響力が大きいからそれが当然みたいな風潮になるけど。風潮はあくまで風潮で多くの人はそんな追い込んでもないし追い込んでもいいことない。

 

毎日自分よくやったと褒めていこうと思う。

心から思っていなくても、ずっとやってたらそのうち変わってくるでしょう。

深刻に捉えない

 

思うに、この現代で深刻に捉えないといけないことって非常に少ないと最近思う。深刻な問題=自分の生死に関わる問題と定義すると、セーフティネットもあるし日本の場合治安も良いし病くらいしか生死に関わる問題がない。自分で物事を深刻に捉えすぎているだけ。

原始時代の本能からくる不安感情を大真面目に考えすぎることが息苦しくなる原因だと考えると、よりラクに生きることができるような気がしている。

自分の感情がどういう風に反応するかは観察するけど、観察に留めて変えようとするのはやめた。

 

前の記事でタスクの粒度がーとか言っていたけど、結局のキャパの問題もある気がしてきた。

受験勉強ですら1日3~4時間が積の山で、大学時代もろくに勉強時間を確保しなかった自分が週5で1日8時間以上仕事してたらそりゃそれ以外の時間で何かやるキャパなくなるよな。

まあ何かうまい仕組みは考えていこうと思うけど。

 

目的と目標設定とタスクの分解と仕組み化

漠然と勉強しようみたいに思っているけど、そもそも目的もなければゴールもないので自分的にも気乗りせずなかなか着手できない。

 

知識欲がない訳ではないので、やろうという気持ちはある。ただ好きまではいかないのでもちろん多少ストレスは溜まる。

基本的にストレス溜まることは必要じゃなければやらないので、まあ漠然程度の気持ちだとやらないよね。

怠惰な自分を動かすために仕組み化したいけど、それ以前の問題でやることが決まっていない。目的も目標もない。好きなことであればそんなの気にせずやるだろうけどそのレベルまでいかないことは目的に応じて目標設定してタスクを分解して仕組み化しないとあまり動かない。。

 

まずは大前提の知識欲がちょっとあってそれをベースに仕事関連の知識の吸収を目的として、それに対して施策とタスクの分解からかなあ。

全体像とタスクの粒度

 

僕の人生においてあまり全体像を意識して勉強とか仕事をしてきてなかったけど、いよいよちゃんと全体像を把握した上でタスクを分解していくというデキる仕事の進め方の王道に則って仕事を進めていくことにトライしていこうと思う。

 

全体像を把握しておかないと終わりも見えないし行き当たりばったりで無駄に消耗するし。

タスクを分解しておけば良いやと最初は思っていたけど、全体像の把握とタスクの分解はセットでやらなきゃいかんと感じた。

そう考えるとプライベートでの勉強したいという気持ちはあれど結局手がつかないのは行き当たりばったりすぎて何が目的でどういう全体像を持ってどういう段取りで実行するかが全く出来ていなかった。

 

言うのは簡単で当たり前のことだけどいざ具体的な部分まで落とすと結構難しいんだよな。その具体的に落とすのが早い人は才能だよ。

感情にこだわらない

 

前にも書いたけど、感情にこだわっても感情は仕様で変わらないし変えられない。

感情に重きを置くより行動に重きを置いた方がラク

疲れた時は疲れなんか休息か睡眠でしか取れないのだから脳内の思考変更や感情抑制で取ろうなんていうのは逆に負の連鎖を生む。

感情に囚われると何もかもがきつい。特に自分の場合は比較的だるい系統の感情が多いので。

 

まあこの感情をうまいことエネルギーに変えれる人もいるんだろうけど、僕は無理。

出来ないことにこだわるくらいならそれは捨てた方が良いな。

怠惰を求めて勤勉に行き着く

 

今日も消耗激しいなあと思いながら仕事していてふとなぜ消耗するのか、解決策を精神的なものでは無くて施策を考えようとなった。

なぜ消耗するかについての仮説はやっている業務の全容を把握していないが故先が見えない絶望感が原因。

それに対する施策はまず業務を洗い出して見える化する。

見える化する際に比較的細かめの粒度でタスクを分解して、分岐点とその分岐した後のプランまでは想定しておく。

今までこういう見える化とかスケジュールに落とし込むのは結局スケジュール通りいかないし意味ないと思っていたけど、ちゃんとタスクを分解してスケジュールに落とし込む作業は最初にやって置いた方が疲れないのかも。なぜ疲れないかというと最初に想定しておけば都度判断したり考えたりという消耗するイベントが減るから。

まだスケジュールに落とし込みまでは全然いっていないけどバッファ込みでそれをやっていこう。

 

部屋の掃除も床にものをおかないというルールを決めて、あとは感覚的に閾値超えたら掃除機かけるというルールにしておこう。

 

やっぱり判断とか思考は消耗するから極力そういうイベントを減らしていった方が良いのかな。後終わりが見えないというのも個人的にはかなり精神を蝕まれる。

ルール化と全貌を把握しそれを分解してやれるレベルまで落とし込むという作業は怠惰な人間が怠ってはいけないなと感じた。

何もしないをする

 

基本的に趣味だろうが仕事だろうが全て同じキャパから実行するタイプの人間なので程度の違いはあれ何をやっても消耗する。

そういう中で、結局何がしたいのだろうと考えていると何もしたくないをしたいというのが出てきた。一旦本当にこれが求めているものなのかはわからないけど、何もしたくないが今一番したいことという仮説を立ててそれを実証するという形で行こうと思う。わざわざこんなこと仮説とか言っているのそれがしっくりくるから。

 

実際目を瞑って何も行動しない(脳は動いているけど)をすると、やらなきゃと思っていること(ブログ書いたり、日向坂のメッセ読んだり)が自然と湧いてきてちょくちょく中断するけど、不思議と気分はまあまま良い。

 

冷静に考えれば空き時間でもスマホいじったり、基本的に何かしている時間が多すぎるのかもしれない。

 

しばらくこの仮説を検証していこう。